いつかを夢見るイタいオンナ

こんにちは。
着こなスクールしらすぎです。

先日から
ファッションとは直接関係ない
過去のことについて思いのままを
綴っています。

 

ほんとにしょーもない自分にむけて
書いているのですが、
よかったら読んでみてください。

 

一応前回の幼少期時代の続きです。
幼少期時代の記事はこちらから

「しょーもなさ」はどこまでも続く
こんばんは。 着こなスクールのしらすぎです。 今日5月5日は私の誕生日。 49歳になりました。 フリーでスタイリングのお仕事をはじめて 約6年。 アパレル時代も含めると 25年以上になろうと...

 

ちなみにこれを読んでも
ファッションセンスには繋がりません。
あしからず…

 

 

日なたと日かげ

 

「なんで私がこんな目にあわなあかんの??」
「何でわたしばっかりハズレをひくん??」
「何で私が悪者になるん??」

 

生まれながら何をしても目立ってしまう選ばれし存在と、
自ら動かないと誰にも見つけてもらえない日陰のような存在
があるとしたら、

 

私はあきらかに後者だったと思う。

 

決して、日陰の存在がだめなわけではない。
そこが心地いいという人がいるのも確かだ。

 

でも、私は、日陰にいながら
強烈に陽を求め、いつかひなたのオンナになれる!
そんな日が自然に来るんだと
ただただ信じていたイタいオンナであった…。

 

19歳、新卒の頃…

 

時は平成5年。
私は生命保険会社の事務として、
大阪の本社に配属された。

 

 

誰もが知っている大手の保険会社で、
当時は景気も悪くなく、
適当に生きてきた私でも苦労せず
入社できたのだ。

 

 

企業年金をあつかう課に配属になった私は、
その課が本社の中でも一番過酷で
人気のない課だとほどなく知った。
(ほら、人気企業に入っても、またハズレひいた)

 

私は10歳上の29歳の女性の
先輩の下で働くことになった。

 

同期の子達は、皆1歳か2歳上の先輩の元で、
手取り足とり指導されて毎日楽しそうだった。

 

でも、私は楽しさを微塵も感じたことがない。

 

150センチにも満たない小柄で、
大きな牛乳瓶のような眼鏡をかけた
笑いのセンスのカケラも感じられない
無愛想な先輩から
一切の仕事を教えてもらえなかったのだ。

 

 

「今は大事な仕事が動いているから、
落ち着いたら教えてあげるね。ごめんね…」

 

と、なんともいえない冷めた笑顔と、
1冊のマニュアル本みたいなものを与えられた。

 

それから数ヶ月、
待てど暮らせど仕事は教えてもらえず、
まわりが忙しそうにしている中、
あくびをおさえるのに必死だった。

 

仕事はとにかく何の意味もない(と思っていただけかも)
マニュアルを読むことと、
1日中鳴り響く支社からの
わけのわからない仕事についての電話をとりつぐことだった。

 

何を聞かれてもこたえられない私は、
先輩に聞いても

 

「は?○○だから△△でしょ。
そんなん聞かなくてもわかるやろって言って!!」

 

といつもの牛乳瓶眼鏡を指でそっとあげて、
まるで漫画にでてきそうな仕草でいうのだった。

 

そんな電話応対が続くと、
答えるフレーズをなんとなく記憶できるようになり、

 

私はいつのまにか、先輩に言われたことを
意味も全く理解できないまま
オウム返しで電話で答える偉そうな
新人になっていた…。

 

同じ課内のとなりのチームには
私の先輩のもとで育ったという
5歳上の綺麗な先輩がいた。

 

牛乳瓶眼鏡によると、
その綺麗な先輩は何も教えていないのに
仕事ができた「神童」らしい。

 

ことあるごとに
「あの子は神童なのよ…」
「あの子は何にも教えていないのに
仕事ができたのよ…」

と言われた。

 

それを聞くたびに

「あんたは何もできないのね…」

 

そう言われているように感じていた。

 

私はいじめられているのかも知れない…
そう感じはじめてから
朝起きるのも辛くなった…。

 

ああ、この感じ、覚えている…。
昔なんとなく学校に行けなくなったあの感覚だ…。

 

そのうち、たまに仮病を使うようになった。
身内の不幸をつくりあげたこともある。
しかし、そこは大企業。
上司から

「香典をうつから、式場の住所をおしえて」

 

といわれ、あわあわとした私は、
「あ、、そういうのは一切うけつけていませんので!!
お気持ちだけで結構です!!」

 

と、とにかく思いついた単語を口にした。
もはやバレバレである。

 

あーーこれもまた、
小学校時代の水銀体温計をこすって発熱にみせかけていた
あの頃の私と同じだ。

 

大人になった私もしょーもないままだった。

 

ある日、とんでもない事件が起きた。
課内が騒然となるようなミスが起きたのだ。

 

課内を震撼させた私のミス??

 

それは、他の生命保険会社何社かと
合同で扱っている企業年金で、
端末の入力ミスが発覚したのだ!!

 

仕事をほぼ教えてもらっていない私には、
詳しいことは全くわからなかったが、

 

課長総出で騒然とした課内の様子をみると
ただ事ではないことは容易に想像できた。
そしてその重大なミスが起きた
保険の担当は牛乳眼鏡の先輩だった。

 

が、なぜか、

 

それは私のミスになっていた。

 

そう、課内を震撼させたミスが
新人の私の入力ミスになっていたのだ…。

 

「え…どういうこと…私…やってない…。」

 

心の中で小さく訴えたが、
誰がやったとかではなく、
もはや緊急事態…。

 

その対応に全員が追われていて、
19歳の新人の私はなすすべがなかった…。

 

牛乳眼鏡も私がしたものとして
さも大変な仕事をするはめになったというような
表情で平然と仕事を続けていた。

 

私はその仕事先に迷惑がかかるとか、
そんなことは正直どうでもよかった。
とにかく私はやっていない!!

 

 

それを証明することしか頭になかった。
みんなが帰った後に残業するふりをして、
処理済みの書類がたくさんはいった
引き出しをあけて、
片っ端から確認していった。

 

その時の私は、
事件を執念に調べ上げる
刑事のようで、恐らく入社以来
一番俊敏に動いていたと思う。

 

とにかく1枚1枚猛スピードで確認していった。
今ならボタンひとつで調べられるだろうことを
執念で何時間もかけた。

 

そして、ついに探し当てたのだ。

 

その書類にはまぎれもなく、
牛乳瓶眼鏡の個人番号が入力されていた!!

 

「ほら!!どうだ!!私はやっていない!!
私がやっていないことをついに証明できる!!」

 

心の中でガッツポーズをした。

 

その書類を翌日、
いつも優しくしてくれたパートのおばさんに
見せようと、話しかけた。

 

 

「○○の件なんですが、
多分私じゃないと思うんです…」

 

 

きっと優しく聞いてくれる…
だって私がやったんじゃないんだもん!!

 

そんな19歳の淡い期待はあっさり裏切られた。

 

「そんなこと、今更言っても仕方ないじゃない。
ミスはミスなんだから…」

 

パートさんは知っていたけど今更面倒なことに
なるのが嫌で言ったのか、
それとも本心でそういったのかはわからない。

 

 

「え??あなた、今なんておっしゃいました??
私はこのミス私じゃないかもと言いましたよね??
ちゃんと聞いてました??」

 

心でそうつぶやいただけで、
私からはそれ以上何も言えなくなった。

 

 

私のなんともいえない感情は
どこに向ければいいのだろうか?

 

課長の席に証拠の書類を置いて帰ってやろうかと
考えもしたが、
気の小さい私は、結局何もできずに、
そのまま元の引き出しにそっと、あえて無造作に
戻したのを今でもよく覚えている。

 

 

その事件から約30年。
未だ私しか真相を知らない。
というより、大事件と思っているのは私ひとりで、
そんなミスがあった出来事すら
誰も覚えていないだろう…。

 

それくらい他人にはどうでもいいありふれた
日常だったのだろう…。

 

引き出しから不自然にでた書類を
誰かがみつけてくれて、
誰かが気づいてくれて、
私の疑いが晴れる…

 

そうだ!
ピンチの時には
どこからか救いの手が現れる、

 

そして私に陽をあててくれる!!

 

 

そんな結末はドラマでしかない展開だと
19歳の時に私は知った。

 

 

いつか選ばれる…
いつかむくわれる…
いつか…

 

いつかはこないのだ…。
私はここでも選ばれた存在にはなれなかった。

 

いや、もしかしたら出来の悪い新人として選ばれたのかもしれない。

 

いつかなんて私にはこない…
いつかがくるのはドラマの世界と
選ばれし者だけ…

それだけははっきりとわかった…。

 

 

実は、
この出来事はもう記憶の隅の方へと追いやられていて、
正直忘れかけていた…。
が、自分の過去をふりかえらないといけない事があって、
その中でそういえば…と思い出したのだ。

 

あの時は私でないことを証明することに必死で
牛乳眼鏡を恨んでいた。
その後数年はしっかりと恨みつらみで刻まれていたいたはずだ。

 

でも、記憶も薄れている今となれば、
正直牛乳眼鏡になんの感情もないのが不思議だった。

 

すでにあの頃の感情は年月とともに
昇華されたのだろうと思う。

 

むしろ、あのときなんで言えなかったのか…。
なんで自分の気持ちを表現できなかったのか…。
なんで課長の席に証拠を残しておかなかったのか…。

 

本当の自分を出せない私に対しての腹立たしさと
むなしさの方がなんともなしによみがえってくる…。

 

結局私は
昔から同じ。
なーーんにも行動しないしょーもない自分に
嫌気がさしてたのだ。

 

 

その後、入社3ヶ月で、私は退職を決意した。
それがまた、当時の私らしいのだが、

 

会社が嫌だから辞める…というのは格好悪いので、
やりたいことがあるので、辞めます。
でも迷惑かかるのが嫌なので、
来年の新人さんが入社してから辞めます…

 

と意味不明な発言をして、
その後1年在籍した。

 

もちろんやりたい事等なにもなかった。
まわりには、

 

「インテリアの学校に通います。
私、トイレに興味があるんです。
トイレの設計に携わって、
カフェにあるような水槽つきのトイレのように、
家庭のトイレをトイレ以上の空間にしたいんです!!」

 

 

わけのわからない情熱をかたった。
この際辞めれさえすれば理由は何でもよかった。
(なぜ、水槽つきのトイレなのか…
それは当時
明石市にあった「ムーミンパパ」
というシーサイドカフェのトイレの壁一面が水槽で、
キレイな熱帯魚をみながら用を足すという
斬新さが好きだったからだと思う。)

 

 

その後、一応、本当にインテリアの夜間専門学校に通った。

 

 

専門学校に通うものの、
きとんと卒業していないことは、
もうおわかりだと思う…。

 

そして49歳の私の自宅のトイレは
どこにでもある一般家庭のトイレである事も
付け加えておく…

 

 

 

 


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